2016年1月のモダンの禁止は2015年4月に元R&Dのトム・ラピル氏によって予言されていた???
(MTGというカードゲーム関連の記事からのコラムです)
自分は元々カードゲーム勢なので、TCG関連のポストが多くなるかもしれませんが悪しからず。
この記事は、今月に発表されたモダンという構築ルールにおいての禁止カードを、半年前に海外のゲームを取り扱うサイトのポッドキャストにてピタリと言い当てられているという内容ですが、本質はそこではなくて言い当てた人の考え方が興味深い。
元R&DのR&DとはMTGにおいての研究デザイン部の事で、ゲームシステム、カードデザイン、ゲーム環境、世界観などの制作・調整を行う言わばMTGというゲームの中枢を担っています。
つまり元R&Dに所属していた人物が未来の禁止カードを言い当てたとしてもそこまで不思議ではない。
(不思議ではないけど、半年先の禁止カードをピタリと言い当てるという事は、そのモダンという構築ルールでの環境の理解度が高く、どうすれば面白い環境になるかが分かっていたという事自体が素晴らしいとも思う。)
なので本質はそこではなく、この記事の中で語られているは退屈と関心についてです。
何が退屈なのか?
事の発端は、モダンのプロツアー(トッププレイヤーしか参加出来ない最高峰レベルの催し)が退屈な物になる事が心配だという疑念があり、それを考えた時に何をするかと言えばその言い当てたカードを禁止にするという所から。
ここで何故退屈という疑念が生まれるかと言うと基本的に現状の対戦ゲーム、特に大手となってくると観戦側が必ず存在するという事です。
ここで抜粋するのが、「定まったカードプールにとっての「関心」というのは回復出来る資源ではないという事だ」です。
つまり変化のないカードプール内において強いデッキが決まってくれば間違いなくその強いデッキの使用率が上がり、言ってしまえば同じような試合が多くなりつまらなくなっていく。
そうした場合当然、観戦側もつまらないと感じるし、プレイヤー側もつまらないと感じ始める。
そうなった時にMTG全体にとってはマイナスになるから、その対処として2つの選択肢があるよと。
強いカードの禁止かモダンのプロツアーを開催しないか。
ただプロツアーを開催しないのは現実的ではないので、禁止カードが毎年出てしまうのは必要不可欠なコストだと。
2015年のLOV
去年は、LOVにとってまさしく関心を蔑ろ(ないがしろ)にした年になったのではないかなと思います。
LOVの場合は、環境の退屈さ依然に催し自体が殆どなく、システム的にも2年間ただただソロでやり続ける事に退屈さを感じざるを得ない状態というのは明らかで、使い魔追加・調整以外の関心を集める要素が必要だった。
そう感じさせた要因は今までに何回も書いたので書きません。
関心は回復出来る資源ではない、その通りだと思います。
一度関心を失った物に再び関心が戻る事は非常に難しい事だと感じます、少なからず元の熱量に戻る事は殆どない。
これは今まで自分が見てきた事や経験してきた事の中では明らかだと思います。
実際、自分のVer3.0~チェインジーン前半の記事を読み返すと、今の自分との熱量の違いは明らかです。
的を射てないような事を書いていた時も多々あるけど、更新頻度の高さと内容の多さから熱量の高さが伺えます(自分で言うのもなんだけどw)。
自分も1年前のような熱量が戻る事は、もう難しいかもしれない。
徐々に徐々に関心と熱量が減っていく、多分それは皆も同じく感じていると思う。
そんな中、明日はLOVすた!
ポスト紹介
対談の内容を読んでいると、やはり田舎で育ってきたのか都会で育ってきたのかで全然感じ方が変わって来ると感じます